将軍の情報 | ||
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階級 | 中佐 | |
HP | 133% | |
コスト | 2285 | |
歩兵 | ★★★★☆★ | |
装甲 | ★★★★★☆ | |
空軍 | ★★★★★★ | |
火砲 | ★★★★★★ | |
海軍 | ☆☆☆☆★★ | |
行軍 | ★☆☆★★★ | |
スキル | 効果 | |
機械工Lv3 | ダメージを受けた装甲と火砲ユニットを回復する。毎ターンHP+9 | |
エリート部隊Lv1 | 戦闘中に獲得できる経験値が20%増加する | |
山の戦いLv1 | 山地で戦闘する時、与ダメージが+5される |
実は世界の覇者2から登場する古参。今作ではバドリオと並んでイタリアの顔役
イタリア将軍の中では中々に性能が優秀な方である(4人しかいないだろとか言っちゃいけない)。
1939のイタリア征服ではバドリオと共にかなり活躍してくれるだろう。征服1943のイタリアでもメッセとのタッグでなかなか強い。枢軸の他国でプレイする時も、謎に生き残って自軍の力添え・反抗に来たり、シベリアマラソン参加者となる事がしばしばある。
装甲能力は★6まで上がるとはいえ火力不足。パットンよりは救いがあるが、スキル構成は耐久特化であり、足も遅い。
ただし、そんな彼も育成すれば、歩兵将運用も戦車将運用も出来るそこそこの性能を持つ将軍となるが、それまでにあまりにもの勲章が掛かる。
実用性こそ少ないが、階級を上げて山に籠らせ、ヘイト買いに徹する運用なら使える…かもしれない。
なので、雇うことは基本的にオススメしない。スキル的に山地形が多いマップが出てきた場合に、活躍する…かも?
イタリアの特殊兵に着けると、歩兵が★5になる事と山の戦いと耐久の高さが活き、そこそこ強いが...他のゴールドの歩兵将軍や装甲将軍と比べるとどうしても劣る...。機械工も発動しないのが残念。
イタリア将軍縛りなんてできないし。特別な事情が無い限りグデーリアンまで貯めよう。
空きスキルは装甲突撃と電撃戦、流言がベター。指揮官で火力を底上げする脳筋運用もアリ。十字砲火で受け身特化にするのも良い。
行軍はしっかり★3まで上げよう。体力は大佐か少将まで上げる事をオススメ。それ以降は余裕が出来次第、上げていこう。
空きスキルに入れたスキルを強化した後は機械工→山の戦い→エリート部隊の順番に上げよう。ただエリート部隊はLv.3で止めても良いかもしれない。
一応コレクションの勲章、リボンも余っていれば付けておこう。以上の強化により攻守両方、山地形では敵を唸らさせる火力を合わせ持つ戦車将となる。他の主力と組み合わせて「砂漠のナポレオン」の名の通りに戦場を駆け抜けて行こう。
グラツィアーニを雇いたい方や興味のある方は一読を推奨 |
終盤の演習ステージ、エーゲ海演習ではなぜかソ連軍で登場する。イタリアが赤化したのか? なお、史実を見ても当のグラツィアーニ本人は最期までガチガチのファシストである。(どうしてこうなった)。
しかも一人だけ「中戦車」に乗っている(他の人は重戦車かスーパー戦車だ)し、こちらがローマに近づくと先制攻撃を仕掛けようとしてくる。
...ローマで真っ先に敵陣に突撃するよう、人民委員に脅されているのか。
初代ネゲッリ侯ロドルフォ・グラツィアーニ(Rodolfo Graziani, Marchese di Neghelli、1882年8月11日 - 1955年1月11日)は、イタリア王国及びイタリア社会共和国の軍人、イタリア陸軍参謀長。RSI政権国防相及び総合参謀総長を兼任。最終階級は陸軍元帥。 エチオピア戦争や第二次世界大戦を指揮。
「フェザーンの屠殺者」 「砂漠のナポレオン」という通り名が有名。
「砂漠のナポレオン」の由来となった神出鬼没な戦い方や、エチオピア戦争時の「捕虜を一切取らない」容赦の無い進軍、機械化部隊と戦略爆撃を駆使した機動戦が知られている。第二次大戦末期では、イタリア休戦後にRSI(イタリア社会共和国)側に所属・復帰し、幹部として巧みな指揮により軍隊を再編、そしてその手腕でイタリアに進軍する連合軍を絶望的な本土防衛戦の中苦しめた。
国民にはある程度の影響を与えるほどの人気がある側面もあったグラツィアーニは、イタリア軍最年少の36歳で大佐に昇進したという記録もある。また、彼は幼少期には神学校に通っていた。
そしてグラツィアーニは東アフリカや北アフリカで、徹底した武断統治を行った事で有名である。
現地人の反乱に対する処刑方法も「首長は手首を縛り、飛行機から故郷に突き落とす」「強制収容所の活用」などの行為であり、やがて「フェザーンの屠殺者」「現地人の粉砕者」との渾名で恐れられるようになった。東アフリカ属州では一説によると3万人以上の現地人を「反乱者」として処刑したとされる。これらは治安回復という成果を挙げたが、ファシスト政権で植民地統治を穏当に進める方針が新たに策定されると武断統治は議論の対象となった。
その他、若い知識層を組織的に殺害することで統治がしやすくなると考え、学校教師を抹殺する他、私怨込みで宗教の対立を煽り、ムスリム兵に正教会聖職者を殺害させる等。
更に、エチオピアで自らの暗殺未遂事件が起きた際には、黒シャツ隊に「エチオピア人を3日間好きなだけ殺していい」と命令し、残虐極まりない虐殺と略奪の嵐を展開させた。ちなみにグラツィアーニはこの暗殺事件の際、自分に投げ込まれた数個の爆弾を式典の花火だと勘違いして外に出てしまい、350発近くの破片を被弾している
戦中はファシスト・イタリアで降伏まで戦い続け、終戦後は戦犯として起訴。禁固19年の刑期を恩赦で釈放された後は、ネオ・ファシスト政党の名誉党首も務めた。1955年1月11日、ローマ滞在中に72歳で病没。
小話として、グラツィアーニの記念碑は晩年を過ごしたローマ近くの街に建てられている。なお肝心のイタリアでは国を巻き込んで大炎上した様子。
・彼の甥にはイタリア空軍屈指のエースパイロット、「ジュリオチェーザレ・グラツィアーニ」が居る。東アフリカ戦線で戦い抜き地中海で転戦、相棒であり親友でもあるファッジョーニ大尉と共に数々の敵艦を沈め、「魚雷の双子」とも称された二人は内戦時には敵同士に...と、創作作品やドラマの様な波瀾万丈な戦歴も魅力的だ。
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