将軍の情報 | ||
---|---|---|
![]() | 階級 | 中尉 |
HP | 120% | |
コスト | 325 | |
歩兵 | 3 | |
装甲 | 0 | |
空軍 | 0 | |
火砲 | 2 | |
海軍 | 0 | |
行軍 | 2 | |
スキル | 効果 | |
兵員の補充Lv1 | ダメージを受けた歩兵ユニットを回復する。毎ターンHP+3 | |
遊撃戦Lv1 | 歩兵ユニットを指揮する時に、12%の確率で敵を反撃不能にする | |
経済学者Lv1 | 滞在する都市の経済産出量+5 | |
ヨシップ・ブロズ・チトー、またはヨシップ・ブロズ・ティトー(セルビア・クロアチア語: Sr-JosipBrozTito.ogg Josip Broz Tito / Јосип Броз Тито、1892年5月7日 - 1980年5月4日)は、第二次世界大戦からその死まで、最もユーゴスラビアに影響を与えた政治家であり、大統領、ユーゴスラビア共産主義者同盟の指導者である。「ティトー元帥」という呼び名でも知られている。
本名はヨシップ・ブロズ。「チトー(Tito)」という名前は、「お前(Ti)があれ(to)をしろ」という横柄な文章から取られたもので、冗談のネタになることもあった。
ナチス占領下のユーゴで,ウスタシャ(クロアチア,傀儡政権とは言ってない)とチェトニック(セルビア)のどちらとも組まず,三つ巴の抗争を繰り広げ,最終的にドイツそっちのけでこの2派を粛正した。
ユーゴを占領していたドイツ軍は,ユーゴ内のあまりの凄絶な抗争に根をあげて撤退した。
ちなみに,ユーゴは人口の11%が戦争中に犠牲になったあげく,ユーゴ内の凄絶な拷問の内容にチャーチルがビビって逃げた(ヤルタ協定でユーゴを英ソで分割する予定が取り下げられた)
「ユーゴは100%,ユーゴ人のものだ。誰にも譲らない。」とはその時の発言である。
スターリンとはお互いに暗殺者を送りあい,電話でスターリンを恫喝した。
チトーは,冷戦構造を利用しつつ,ユーゴ国内の複雑すぎる民族をまとめきった。
また朝鮮戦争でソ連の目が,ユーゴからそれていることをここぞとばかりに利用し,「犬猿の仲の」ギリシャとトルコを組ませ,三国同盟を結成する(結局,ユーゴは独自路線を,その2国はNATOに加盟した)。
この三国同盟をつぶそうと躍起になった,ソ連のフルシチョフ(党の代表)は謝罪を表明するが,チトーは「不満」を表明した。
結局,ブルガーニン(ソ連の国の代表)との間で,ユーゴという国と和解させた(国と国同士は和解)が,ソ連共産党とユーゴの共産主義同盟という党同士は,お互いが滅びるまで和解しなかった。
ちなみに,チトーはロシア革命,フランス革命,スイスの共和制について研究をしていたが,明治維新はモデルにはしなかったという。
5月8日に行われたチトーの葬儀には日本を含む多数の国からかつてない規模で東西陣営や非同盟陣営の世界各国の政府代表団が集まり(弔問外交)1989年の昭和天皇の大喪の礼まで当時史上最大の国葬だった。日本からは大平正芳首相も出席した
彼の死後、ユーゴスラヴィアは崩壊し、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」に後戻りしてしまった。いくつものわたる民族をまとめ上げた彼は、軍人として優秀だったが、政治家としてはその数倍優秀であった。
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照