将軍の情報 | ||
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階級 | 少将 | |
HP | 143% | |
コスト | 2675 | |
歩兵 | ★★★★★★ | |
装甲 | ★★★★★★ | |
空軍 | ★★★☆★★ | |
火砲 | ★★★★★★ | |
海軍 | ★★★★★★ | |
行軍 | ★★★☆☆★ | |
スキル | 効果 | |
鋼鉄の洪水Lv1 | 装甲ユニットの受けたダメージがHPの半分以上を超えた場合、敵に与えるダメージ+5 | |
塹壕Lv2 | 敵の火砲ユニットからのダメージを12%無効化にする | |
偽装術Lv1 | 敵の空軍ユニットからのダメージを6%無効化する |
「勇敢な人間は希望がある限り、負けないのだ」
最も前作との落差が酷い将軍。
前作ではシナリオクリアに必須だったが、今作ではむしろ雇わないほうがいい。彼を雇うくらいなら、もう少し頑張って勲章をためてグデーリアンを雇おう。
というのも、能力は戦車★6、伸ばせば行軍★5と優秀である
しかし、彼のスキルはすべて耐久系スキル(火力維持、被ダメ軽減)で占められており、なおかつスキル自体も非常に微妙なものが多い為、決して強いとは言えない性能となっている。
その為、パットンはグラツィアーニと並ぶ、雇う事をオススメしない、弱いゴールド戦車将軍となる。
一応、空きスキルのカスタマイズ次第では、そこそこの火力は保証されるし、鬼の耐久を誇る将軍にすることも可能。
空きスキルは装甲突撃と電撃戦がベター。ユニットの体力の多い前線なら電撃戦を外すのもあり。行軍はしっかり★5まで上げよう。
その後は鋼鉄の洪水→塹壕の順番に上げよう。偽装術は上げる必要がない。
もしパットンを雇う場合は防御型戦車将軍となる。攻撃型戦車将軍やその他の陸軍将軍の部隊を守るため率先して最前線で弾受けするのが良いだろう。
パットンの可能性 |
今作で運営からのヘイトを買ってるとしか思えないほど弱体化した理由は不明。
前作がシナリオクリアに必須だったから相対的に弱体化させたのか、装甲将軍といえば「ドイツ」だということで他の国の人の能力を下げたのか。
事実、ドイツ戦車将軍はモーデルを除きスキル構成が非常に優秀である。
モーデルやモンゴメリーは守備的な戦いで活躍したため、スキル構成がそれっぽいのは史実再現と言えなくもない。
しかし、パットンはエピソードの項目にもあるように豪胆な性格と戦いぶりで知られていた。
史実のイメージに全くあっていない防御系のスキルを割り当てられた理由は本当に謎である。
ジョージ・スミス・パットン・ジュニア(George Smith Patton Jr.、1885年11月11日 - 1945年12月21日)はアメリカの陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。モットーは「大胆不敵であれ!(Be audacious!)」。
カリフォルニア州サン・ガブリエル生まれ。祖父ジョージ・パットン・シニアは南北戦争で南軍将校として従軍。またアメリカ独立戦争で戦ったヒュー・マーサー准将の血も引き継いでおり、アメリカ合衆国設立当初から続いている軍人一家の一員であった。
幼少の頃から将軍になろうと英雄願望を持っていた。幼少時から妹と軍人ごっこをして遊んでおり、その頃から「パットン中将(Lieutenant General Georgie S. Patton, Jr.)」を名乗っていた。古典文学と戦史を勉強する知的な子供ではあったが、基礎的な学習能力に問題があり、学校教育の全体にわたって影響した。他の子に比べ読み方を学ぶのが遅れ、綴り方のような基本的学習を行わなかった。今でいう失読症であったと言われている。
ウェストポイント卒業後、近代五種競技のアメリカ合衆国代表として、1912年のストックホルムオリンピックに参加。近代五種は伝統的にヨーロッパ勢が強く、5位という成績を残す。
輪廻転生、北欧神話の信仰者でもあった。多くの文献が、彼が自身をカルタゴのハンニバル将軍の再来であると主張したことを記している。他にもナポレオンとともに戦ったとも言い、ローマの軍団兵であったとも主張していた。
第一次世界大戦にアメリカが参戦するにあたり、パーシング将軍はパットンを大尉に昇進させた。フランスにおいてパーシング将軍は、パットンに新しく編制されたアメリカ戦車部隊の戦闘指揮を取らせた。
ミューズ・アルゴンヌ方面での作戦において負傷し、戦時昇進により大佐にまで昇進した。ちなみにパットンは第一次世界大戦に参加した将兵では珍しく、塹壕戦と言うものを全く無意味だと信じており、次の戦争は塹壕を掘ったり陣地を守ったりで勝敗が決まることは無く、機動力で決するであろうと信じていた。
戦場にロマンチズムを求め、戦場に生き生きとする戦争狂とも言えるその生涯であったが、皮肉にも最期の言葉は「(自動車事故は)軍人の死に様ではないな」だったという。ただしこの欠点を自分でもある程度は認識していたようで、日記や妻には自分が「Too damn military(軍人らしすぎる)」と反省を込めて書いている(しかし態度は改まらなかった)。
1935年ナチスが制定したニュルンベルク法の原本を入手し故郷の図書館に寄贈している。また、パットンは非常に口が悪い事で有名で、彼の映画を作る際には実際の彼が言った言葉を修正して緩く表現せねばいかんレベルだった。
「職業軍人には理想的な死に方がある。最後の戦場で最後の弾を受けて死ぬことだ。栄光はいつか消え去るのである。」
彼のこの言葉は、戦争と戦場に全てを求め、狂った男としての人間を表している。
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