将軍の情報 | ||
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![]() | 階級 | 少将 |
HP | 143% | |
コスト | 2455 | |
歩兵 | ★★★★☆★ | |
装甲 | ★★★★★☆ | |
空軍 | ★★★★★★ | |
火砲 | ★★★★★★ | |
海軍 | ★☆☆★★★ | |
行軍 | ★★★★★★ | |
スキル | 効果 | |
装甲指揮官Lv3 | 装甲ユニットを指揮する時に、24%の確率で致命的な一撃を与える | |
鋼鉄の洪水Lv1 | 装甲ユニットの受けたダメージがHPの半分以上を超えた場合、敵に与えるダメージ+5 | |
掩体Lv2 | 敵のミサイルユニットからのダメージを12%無効化する | |
ベルリンを目指す困難でマンシュタインにやられてしまい、「失敗なんて怖くない」という負け惜しみを吐くのはもはやお約束。
彼はまぎれもなくソ連軍の「顔」であり、世界の覇者2から出演しているのだが、いかんせんシナリオや征服での存在感があまりない。
1939では重戦車に乗っているので厄介ではあるが、囲むなり流言で封印すれば楽だしね。
そんな彼だがゴールドの戦車将軍としてはロンメルに次ぐ。
掩体がビミョーすぎるのと、装甲能力が☆5なのが(☆6に強化はできるが高い)難点だがこれでもパットンに比べればマシ。階級も少将と高いし。
空きスキルには電撃戦と、装甲突撃をつけるのがおすすめ。流言でも悪くはないが装甲突撃で火力を底上げした方が現代シナリオでは力になれるだろう。
...まあ,グデーリアンやロンメルを強化した方がいいんだけどね。
コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ・ロコソフスキー(ロシア語: Константин Константинович Рокоссовский、ポーランド語: Konstanty Rokossowski、1896年12月21日 - 1968年8月3日)は、ソ連、ポーランドの軍人、政治家。ソ連邦元帥、ポーランド元帥。ソ連邦英雄(2度)。
ソ連邦元帥、ポーランド元帥を兼任した。
(Wikipediaから引用)
ロシア帝国のヴェリーキエ・ルーキ市プスコフシチナ出身(現在のロシア連邦プスコフ州内)。
父親はポーランド人のシュラフタ(騎士)階級出身だったが、自身は鉄道技師だった。また、母は自身をロシア人と見なしていた。
ロコソフスキーの誕生後、一家はロシア支配下(ポーランド立憲王国首都)のワルシャワに移住し、ロコソフスキーはここで育った。
独ソ戦時、機械化軍団長として、西ウクライナのブロドゥイ地区で戦った。1941年11月から西部戦線の第16軍を指揮。1942年7月、ブリャンスク戦線司令官に任命され、トゥーラとヴォロネジ方面を担当した。同年9月からドン戦線を指揮。スターリングラード攻防戦ではドイツ第6軍の逆包囲に成功し、第二次世界大戦全体の戦局を転換する勝利をもたらした。
1943年2月、ドン戦線に基づき創設された中央戦線の司令官に任命。同年10月、白ロシア戦線司令官に任命。1944年2月、白ロシア戦線は第1白ロシア戦線に改称され、同年6月、ロコソフスキーはソ連邦元帥となった。第1白ロシア戦線の部隊は、ロガチェフ市を解放し、ドニエプル対岸に橋頭堡を確保した。その後、バグラチオン作戦に参加し、ミンスクを解放した。
1944年11月、第2白ロシア戦線司令官となり、1945年始め、東プロイセン攻勢に参加。同年4月18日から5月8日まで、ベルリンの戦いに参加した。
1968年8月3日、死去。遺体はソ連の要人の例に従い、モスクワの赤の広場のクレムリンの壁墓所に埋葬された。 著書に回想録「兵士の責務」(Солдатский долг)がある。
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