将軍の情報 | ||
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![]() | 階級 | 中尉 |
HP | 120% | |
コスト | 325 | |
歩兵 | ★★★☆☆ | |
装甲 | ☆☆☆ | |
空軍 | ||
火砲 | ★★☆ | |
海軍 | ||
行軍 | ★★☆☆ | |
スキル | 効果 | |
兵員の補充Lv1 | ダメージを受けた歩兵ユニットを回復する。毎ターンHP+3 | |
遊撃戦Lv1 | 歩兵ユニットを指揮する時に、12%の確率で敵を反撃不能にする | |
経済学者Lv1 | 滞在する都市の経済産出量+5 | |
このゲームのリリースから一年くらいは彼がお勧め将軍として推奨されているときもあった。安くて歩兵と火砲がそこそこ強いからである。
ただ、やはりというかメッセの万能さに埋もれてしまい、それ以降はお勧めされることはなくなった(筆者も彼を雇うのはお勧めしない)。
シナリオだとバルカン半島の戦いにでてくる。特殊兵さながらの強さを持つが、やはり重戦車相手には弱い。
プレイヤーの初期配置からいる重戦車に将軍を付けて、2マス離れたうえで攻撃すればなんなく倒せてしまう。
征服でも1939はすぐに枢軸軍にやられてしまうので存在感はない。1950では中立である。現代戦では存在感が皆無。まあ彼の年齢的にしょうがない(彼は丁度1980年に死去)が。
現代征服でテロリストに対抗するゲリラ戦の達人(ベトナムは冷戦まで終始フランスとたまに日本に、現代ではテロリストに併合されている)として登場しても面白かったのではないだろうか。
ヨシップ・ブロズ・チトー、またはヨシップ・ブロズ・ティトー(セルビア・クロアチア語: Sr-JosipBrozTito.ogg Josip Broz Tito / Јосип Броз Тито、1892年5月7日 - 1980年5月4日)は、第二次世界大戦からその死まで、最もユーゴスラビアに影響を与えた政治家であり、大統領、ユーゴスラビア共産主義者同盟の指導者である。「ティトー元帥」という呼び名でも知られている。
本名はヨシップ・ブロズ。「チトー(Tito)」という名前は、「お前(Ti)があれ(to)をしろ」という横柄な文章から取られたもので、冗談のネタになることもあった。
ナチス占領下のユーゴで,ウスタシャ(クロアチア,傀儡政権とは言ってない)とチェトニック(セルビア)のどちらとも組まず,三つ巴の抗争を繰り広げ,最終的にドイツそっちのけでこの2派を粛正した。
ユーゴを占領していたドイツ軍はユーゴ内のあまりの凄絶な抗争に根をあげて撤退した。
ちなみにユーゴは人口の11%が戦争中に犠牲になったあげく、ユーゴ内の凄絶な拷問の内容にチャーチルがビビって逃げた(ヤルタ協定でユーゴを英ソで分割する予定が取り下げられた)
「ユーゴは100%、ユーゴ人のものだ。誰にも譲らない。」とはその時の発言である。
スターリンとはお互いに暗殺者を送りあい、スターリンの刺客をすべて秘密警察に捉えさせたうえで、電話でスターリンを恫喝した。
チトーは冷戦構造を利用しつつ、ユーゴ国内の複雑すぎる民族をまとめきった。
また朝鮮戦争でソ連の目がユーゴからそれていることをここぞとばかりに利用し「犬猿の仲の」ギリシャとトルコを組ませ、三国同盟を結成する(結局ユーゴは独自路線を、その2国はNATOに加盟した)。
この三国同盟をつぶそうと躍起になったソ連のフルシチョフ(党の代表)は謝罪を表明するが、チトーは「不満」を表明した。
結局、ブルガーニン(ソ連の国の代表)との間で、ユーゴという国と和解させた(国と国同士は和解)がソ連共産党とユーゴの共産主義同盟という党同士は、お互いが滅びるまで和解しなかった。
ちなみにチトーはロシア革命とフランス革命、スイスの共和制について研究をしていたが明治維新はモデルにはしなかったという。
5月8日に行われたチトーの葬儀には日本を含む多数の国からかつてない規模で東西陣営や非同盟陣営の世界各国の政府代表団が集まり(弔問外交)1989年の昭和天皇の大喪の礼まで当時史上最大の国葬だった。日本からは大平正芳首相も出席した
彼の死後、ユーゴスラヴィアは崩壊し、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」に後戻りしてしまった。いくつものわたる民族をまとめ上げた彼は、軍人として優秀だったが、政治家としてはその数倍優秀であった。
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