将軍の情報 | ||
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![]() | 階級 | 少将 |
HP | 143% | |
コスト | 2455 | |
歩兵 | ★★★★☆★ | |
装甲 | ★★★★★☆ | |
空軍 | ★★★★★★ | |
火砲 | ★★★★★★ | |
海軍 | ★☆☆★★★ | |
行軍 | ★★★★★★ | |
スキル | 効果 | |
装甲指揮官Lv3 | 装甲ユニットを指揮する時に、24%の確率で致命的な一撃を与える | |
鋼鉄の洪水Lv1 | 装甲ユニットの受けたダメージがHPの半分以上を超えた場合、敵に与えるダメージ+5 | |
掩体Lv2 | 敵のミサイルユニットからのダメージを12%無効化する |
ベルリンを目指す困難でマンシュタインにやられてしまい、「失敗なんて怖くない」という負け惜しみを吐くのはもはやお約束。
彼はまぎれもなくソ連軍の「顔」であり、世界の覇者2から出演しているのだが、いかんせんシナリオや征服での存在感があまりない。
1939では重戦車に乗っているので厄介ではあるが、囲むなり流言で封印すれば楽だしね。
とはいえ、勲章に糸目を付けない場合無課金プレイヤーにとってはグデーリアンの次に強い戦車将軍となる。シナリオクリアを優先するなら、もちろん安いロンメルを雇うことをオススメするが、「シナリオを全て★3クリアし、演習も技術も全て終わった」というプレイヤーはやり込み要素としてロンメルを捨てて彼を雇うこともあり。
・ロンメルより優れている点
以下の3つが挙げられるが、やはり①が1番大きい。ただし、②ももちろんどちらのがいいのかの決め手となる。③はおまけ。
①機動力
行軍がロンメルでは★3とシナリオや征服ではなかなか痒いところに手が届かず、特に征服ではシベリアマラソン時にグデーリアンに置いて行かれてしまうが、ロコソフスキーは★4と1段階上がり、かなり自由度が高くなり、グデーリアンにも追従出来る様になった。
②スキル
死にスキルはロンメルでは砂漠の戦い、ロコソフスキーでは掩体となっているが、特に征服1950や征服1980では敵が将軍の部隊にミサイルを打ち込むことが多々あり、その時には使える。ロンメルも砂漠では使えるが砂漠は極めて少なく(というか、サハラとアラビアとベガス付近に固まっている)、使えるところが限られる。僅差ではあるが、やはりロコソフスキーの方が使えると思う。
また、ロンメルの十字砲火は敵に攻撃されることが前提であるが、普通は将軍部隊の損耗を避けるために、囮の部隊を厄介な敵部隊の前に置くなどするので使い勝手が悪い。しかも、年代が進むにつれて、曲射砲、ロケット砲、ロケット巡洋艦、要塞など反撃不能にする部隊、将軍とその確率が上がって来るため攻撃されても発動出来ない時がある。
かわって、ロコソフスキーの鋼鉄の洪水は体力が半分を切った時の攻撃力減少を抑えてくれるので、被ダメが高くなる1950以降のシナリオ、征服で重宝される。なので、こちらもロコソフスキーの方がいいと思う。
ただ、空きスキルに電撃戦と装甲突撃をつけるとすると流言をつけられないという点でロンメルより劣っている。
③階級
ロンメルより階級が初期から少将と高い。
・ロンメルに劣っている点
なんといっても必要な勲章量が多いこと(雇うのにも、育成するにも)。
初期状態では装甲能力が★5であり、★6に上げることが出来るが勲章が800も必要(スキルを先に上げた方が良い)。
さて、彼を雇った場合、空きスキルには電撃戦と、装甲突撃をつけるのがオススメ。流言でも悪くはないが装甲突撃で火力を底上げした方が現代シナリオや征服では力になれるだろう。
また、スキルは被ダメを抑え延命出来る電撃戦、常時火力upの装甲突撃の順に上げよう。上記の2つを上げられたら、鋼鉄の洪水、装甲指揮官どちらを優先して上げるかは自分の好きな方で良い。
コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ・ロコソフスキー(ロシア語: Константин Константинович Рокоссовский、ポーランド語: Konstanty Rokossowski、1896年12月21日 - 1968年8月3日)は、ソ連、ポーランドの軍人、政治家。ソ連邦元帥、ポーランド元帥。ソ連邦英雄(2度)。
ソ連邦元帥、ポーランド元帥を兼任した。
(Wikipediaから引用)
ロシア帝国のヴェリーキエ・ルーキ市プスコフシチナ出身(現在のロシア連邦プスコフ州内)。
父親はポーランド人のシュラフタ(騎士)階級出身だったが、自身は鉄道技師だった。また、母は自身をロシア人と見なしていた。
ロコソフスキーの誕生後、一家はロシア支配下(ポーランド立憲王国首都)のワルシャワに移住し、ロコソフスキーはここで育った。
独ソ戦時、機械化軍団長として、西ウクライナのブロドゥイ地区で戦った。1941年11月から西部戦線の第16軍を指揮。1942年7月、ブリャンスク戦線司令官に任命され、トゥーラとヴォロネジ方面を担当した。同年9月からドン戦線を指揮。スターリングラード攻防戦ではドイツ第6軍の逆包囲に成功し、第二次世界大戦全体の戦局を転換する勝利をもたらした。
1943年2月、ドン戦線に基づき創設された中央戦線の司令官に任命。同年10月、白ロシア戦線司令官に任命。1944年2月、白ロシア戦線は第1白ロシア戦線に改称され、同年6月、ロコソフスキーはソ連邦元帥となった。第1白ロシア戦線の部隊は、ロガチェフ市を解放し、ドニエプル対岸に橋頭堡を確保した。その後、バグラチオン作戦に参加し、ミンスクを解放した。
1944年11月、第2白ロシア戦線司令官となり、1945年始め、東プロイセン攻勢に参加。同年4月18日から5月8日まで、ベルリンの戦いに参加した。
1968年8月3日、死去。遺体はソ連の要人の例に従い、モスクワの赤の広場のクレムリンの壁墓所に埋葬された。 著書に回想録「兵士の責務」(Солдатский долг)がある。
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