ケッセルリンク
将軍の情報 |
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 | 階級 | 中佐 |
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HP | 133% |
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コスト | 2125 |
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歩兵 | ★★★★☆★ |
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装甲 | ★★★★★★ |
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空軍 | ★★★★★★ |
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火砲 | ★★★☆★★ |
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海軍 | ★★★★★★ |
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行軍 | ★☆☆★★★ |
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スキル | 効果 |
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建築学Lv4 | 滞在する都市を修復する。毎ターンHP+24 |
爆破Lv1 | 敵の要塞ユニットを攻撃する時に、与ダメージが+8% |
空軍指揮官Lv1 | 空軍ユニットを指揮する時に、8%の確率で致命的な一撃を与える |
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概要
征服1943のドイツではアフリカの空き都市を潰すのに使える。
モンティを空軍で攻撃してロンメルをフォローするのがかなり有効。今作では歩兵が弱いのでモンティに突っ込んで瞬殺されることは避けたい。
なお、今作と前作のイラストでは顔が反転している。モデルとなった史実の写真とも反転。どういうことだ.....?
性能
HQのレベルが12になると雇用が可能になる将軍。購入可能なドイツ空軍の将帥は彼のみである。
空軍能力が★5であり、最大の強みとして強化すれば歩兵能力も★5になる。また行軍能力は最高で★3である。
征服では装甲歩兵で敵の都市を占領し、敵の勢力下にある都市を爆撃して占領するという運用が可能だが、縛りで無い限り敢えて雇用する必要はない。保有スキル自体は十分であるが、能力値と育成にかかる勲章を考えると最も優秀な空軍指揮官とは言えない。そのためアーノルドやダウンティング、懐次第では課金のコールソンなどを購入することを推奨する。
前線モードにて
シナリオではドイツ将軍縛りでもしない限りは彼を雇うことはないだろう。
しかし、前線モードは彼の初期スキル「爆破」が有効活用できるため、輝く可能性がある。
前線モードに出てくる要塞はとても硬いので、生半可な攻撃では削り切れない。
彼は歩兵能力が☆5まで伸び、爆破を持つため、下手な歩兵将軍よりも直接攻撃で要塞を削ることができる。とはいえ、結局普通に強い歩兵将軍の方が実力もコスパも上だったり。
火砲能力も☆4まで伸びるので、歩兵運用と火砲運用の使い分けも可能である。
史実
+
| | 長いので格納
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1881年11月30日、アルベルト・コンラート・ケッセルリンクはバイエルンのマルクトシュテフトで生まれた。父は学校の校長カール・アドルフ・ケッセルリンク、母はロジーナ・マーガレット・マリア・ケッセルリンク。またSister(妹か姉かは不明)のRegina(読み方は恐らくレジーナ)がいる。第一次大戦中は陸軍に所属し、参謀将校として戦った。その後空軍に移籍となりヘルマン・ゲーリングと知り合いだったということもあり、順調に出世していく。しかし、空軍は陸軍より政治色が強く、政治的陰謀に巻き込まれるのを恐れたケッセルリンクは、中央の勤務より現場での指揮を切望していた。
ポーランド侵攻作戦では第一航空艦隊司令官として、フォン・ボック将軍が指揮する北方軍集団を支援(第二次大戦のヨーロッパの枢軸国側第1ミッション)。西方電撃作戦では、第二航空艦隊を率いてB軍集団を指揮したフォン・ボック将軍の支援にあたった(第二次大戦のヨーロッパの枢軸国側第3ミッション)。フランス攻略の後、元帥に昇格。イギリスとの戦いでは、現地指揮官を務め、ロンドン攻撃を任されていた(第二次大戦のヨーロッパの連合国側第4ミッション)。独ソ戦ではまたまた中央軍集団総司令官、フォン・ボック元帥(二人は非常に親密な関係であった)の支援にまわった(第二次大戦のヨーロッパの枢軸国側第7ミッション)。1941年後期に、モスクワ攻略に従事したが、大した結果は得られなかった。その後、南方総軍司令官に任命され、北アフリカに着任。エルヴィン・ロンメル将軍の上官として彼をサポートした(第二次大戦のヨーロッパの枢軸国側第8ミッション、連合国側第3ミッション)。ロンメルの無茶ぶりにだいたいは応えていたが、兵站の観点より過度な進軍には反対していた。アフリカ戦線が崩壊した1943年、ケッセルリンクはイタリア防衛の為、シチリア島からドイツ・イタリア両軍のありとあらゆる物資と13万人近くの兵士を撤退させ、来る連合軍のイタリア上陸へ備えた。防衛に適した山岳地帯、米英の足並み揃わぬ進軍、重戦車ティーガーの投入などで戦線を一年近く保持することに成功する(第二次大戦のヨーロッパの連合国側第4ミッション、尚この奮闘ぶりはヒトラーの予想を遥かに凌駕していた)。1945年にはゲルト・フォン・ルントシュテット元帥に代わり西方総軍司令官に任命されるもすぐに敗戦を迎える。
イタリアにおいて(SSの命令であるが)非戦闘員虐殺へ関与していた疑いから死刑を宣告された。部下も求刑されるがケッセルリンクは「彼らに責任はない。命令した私に全責任がある。」と言い、部下を庇った。その後に減刑され、さらに喉に癌があるという理由で1952年に釈放された。驚くべきことに、彼は第一次世界大戦中、一日20本も葉巻を吸っていた。
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エピソード
タフで人事力に長けている非常に楽観的な人物であり、ドイツ軍兵士からは「Uncle Albert(アルベルトおじさん)」と呼ばれていた。薬剤師の娘、ルイーズ・アンナ・パウリーン・ケイスラーと結婚したが子供はいなかった。そこでケッセルリンクのまたいとこにあたるクルトの息子、ライネルを養子にした。二人のハネムーン旅行はなんとイタリアであった。戦後、マンシュタインがドイツ軍のWW1敗戦時からWW2敗戦時までの動向を調査するよう裁判所に命ぜられた際に、彼が空軍の細部に至るまで助言した。
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