ロンメル
将軍の情報 |
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 | 階級 | 大佐 |
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HP | 138% |
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コスト | 初期:2785 20%引き:2228 40%引き:1671 |
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歩兵 | ★★★★★★ |
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装甲 | ★★★★★★ |
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空軍 | ★★★★★★ |
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火砲 | ★★★☆☆★ |
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海軍 | ★★☆☆★★ |
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行軍 | ★★★★★★ |
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専属称号 | 効果 |
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砂漠の狐 | 「精鋭部隊」装甲部隊指揮時、移動力+2、致命的な一撃威力+25% |
スキル | 効果 |
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砂漠の戦いLv1 | 砂漠で戦闘する時、与ダメージが+5される |
十字砲火Lv1 | 陸地で敵ユニットから攻撃を受けたとき、反撃ダメージ+6% |
装甲突撃Lv2 | 装甲ユニットを指揮する時に、与ダメージが+12% |
概要
「ドイツは滅びぬ!何度でも蘇るさ!」
どこかで聞いたことがあるセリフだなぁ
恐らくプレイヤーの大多数が知っている、あるいは名前を少しは聞いたことがある程有名なドイツの将軍。世界の覇者2のイラストを参考にしたのか、イギリス軍から鹵獲した砂嵐から眼を保護するにはほとんど意味のないゴーグルを着用している。因みに前作ではこのトレードマークのゴーグルは無かった。「伝説の将軍」で購入可能。「砂漠の狐」の名前に相応しいスキル「砂漠の戦い」を装備している。砂漠はアフリカや中東に固まっているため、運用に注意しよう。
彼はドイツアフリカ軍団の顔であり、征服1943ではアフリカ軍団の主力として彼を使用する事が出来る。
性能
能力は装甲6行軍3
スキルは装甲突撃に十字砲火と砂漠の戦いを所持している。
装甲突撃は装甲部隊を指揮する際に常時ダメージを増加させるものであり、装甲将軍には必須のスキルである。
十字砲火は反撃時の火力を上げる。高年代の火砲や高レベル電撃戦持ち将軍には効果が薄い。
砂漠の戦いは基本役に立たないので強化しなくて良い。
ただし、乗算2スキルに加え精鋭効果の指揮官ダメージ増加や空き2枠に更に乗算2スキルを加えられるため理論火力は全将軍トップクラス。イベント等では持ち前の火力を活かして活躍することが出来る。
運用
スキル空きが2つあるため柔軟な運用が可能。
例を3つ挙げる。
・電撃戦+流言
リボンの育成が進んでおらず、敵をバッタバッタなぎ倒すことができない際に、電撃戦と流言で被ダメを軽減しながら戦う運用。敵の数や狭くごちゃごちゃした集団戦闘が多い前線で強い運用。ただし精鋭部隊の指揮官スキルの恩恵が受けられない点、ロンメルの真骨頂である火力を生かせない点は注意。
・装甲指揮官+流言
上の運用と下の運用の中間。敵を一撃で倒せるようになると電撃戦は死ぬ局面がふえるので、電撃戦を指揮官に変えた運用。パンピーはワンパンしたいが敵将は流言で固めたい挑戦征服や前線の後半などで強い。指揮官を伸ばせる勲章が2つ持てるようになったらこちらの方が強い。火砲将の流言が育ってきたら下の運用にするという考え方もある。
・装甲指揮官+鼓舞
最終形態の火力特化。脆いユニットをほぼ全てワンパン前提で、持ち前の火力と補給リボンを活かしながら戦っていく運用。他の将軍などの要素(流言要員や装甲勇気、装甲防御、装甲補給リボン、精鋭部隊諸々)が揃っているのが前提であるが、キルラインの中にあるユニットが多いステージでは特に強力である。クリアまでのターンに制限のあるイベントステージや戦区を安定クリアするにはこの運用が間違いない。征服通常でも無類の強さを誇る。高難度シナリオや前線など、敵の体力が高い場合は、装甲防御リボンや衛生兵の活用、あえて攻撃させて十字砲火で反撃して削った次のターンで撃破し補給リボンで回復する、などの工夫で延命しつつ火力を生かすことになる。リボンはできればlv4以上、最低でもlv3をつけたい。
これらの性質を踏まえた上での運用をおすすめする。課金将を除けば、装甲突撃+装甲指揮官+鼓舞の3スキルを同時につけて火力特化の運用が取れるのはグデーリアンとロンメル、ロコソフスキーだけであり(バスティコが追加された)、十字砲火を加えた4スキルとなるとグデーリアンとロンメルだけである。
なお、おすすめは上記3つであるが、指揮官+爆破や指揮官+電撃戦等、火力を担保しつつあらゆるスキルビルドに対応が可能である。
雇用
初心者通行証でパブロフが獲得できるようになった為、(課金すればアルニムも)急いで雇用する必要性は低下した。他の将軍(主にグデーリアン)を育成し、割引で雇えるようになってから雇用する事を推奨したい。
専属称号
ゴールド将軍は伝記をクリアすることで、精鋭部隊を指揮するときのみに発動する専属称号バフを得ることができる。
ロンメルの場合は行軍が伸び、致命的な一撃のダメージが増加する。これを活かした運用をしたい。
+
| | やりこみ要素であるため格納
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シナリオ中に実現できるものではない
ロンメルを活かすには専属称号をフル活用する必要がある。空きスキルのオススメは装甲指揮官+鼓舞だ。電撃戦+流言の組み合わせは、専属称号に致命的なダメージUPがあるロンメルの強みが無くなってしまう。
ロンメルの専属称号の目玉は致命的な一撃発動時のダメージアップだ。致命的な一撃の発動のため、1枠目は装甲指揮官をつけよう。2枠目は再突撃をなるべく繋げやすくする為の鼓舞がオススメである。
このスキル構成でフル強化かつ精鋭部隊に載せたロンメルはかなり火力が高く(無課金ならグデーリアンの次)、元々懸念点であった機動力もグデーリアンと同等になる。壊滅の戦区でもタイタン戦車を反撃でワンパンできるほどの火力のポテンシャルがある。電撃戦がないことから高レベルの補給リボンが必須であり、どのステージでもロンメルは再突撃をガンガン発動して補給リボンで回復しながら戦う方が強い。
グデーリアンをタイガー、ロンメルをパーシングに載せればかなり凶悪なコンビになるであろう。
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史実
エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル(ドイツ語: Erwin Johannes Eugen Rommel(1891年11月15日 - 1944年10月14日)は、ドイツの陸軍軍人。最終階級は陸軍元帥。
第二次世界大戦のフランスや北アフリカでの戦闘において驚異的な戦果を挙げた事による「砂漠の狐」の異名もあり、傑出した指揮官として知られる。
+
| | 長いので格納
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エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメルは1891年11月14日、ヴュルテンベルグの学校教師の家に生まれた。第一次大戦中は歩兵指揮官として戦功をあげる。その時の活躍を自著「歩兵の攻撃」にて語っている。ヒトラーはこの本を通読し、著者に関心を抱いた。ヒトラーの信頼を勝ち得た彼はズデーテン進駐、チェコ進入、ポーランド侵攻作戦(第二次大戦のヨーロッパの枢軸国側第1ミッション)に総統の護衛隊長として従事。この時彼は戦車に興味を持ったという。フランス侵攻作戦(第二次大戦のヨーロッパの枢軸国側第3ミッション)ではヘルマン・ホート大将麾下の第7装甲師団長として凄まじい速度で快進撃を続ける。翌年の1941年、「北アフリカに侵攻したイタリア軍を支援し、政治的理由でイタリアが枢軸国から脱退するのを防止する」ため北アフリカへ着任する。ここでも怒涛の進撃と巧みな部隊の運用方法、砂煙を用いた偽装術などにより瞬く間にトブルクの要塞を陥落させる。この功績により元帥に昇格した。しかし、すでに兵站に問題が起こっていた。輸送用のトラックに不足はなかったもののあまりにも遠くへ進撃しすぎた為、燃料をはじめとする物資が前線部隊に行き届いていなかった。南方総軍司令官アルベルト・ケッセルリンク元帥が「補給の問題から、これ以上の進軍は困難だ。トブルクで防衛線を構築し、反撃に備えたほうがよい」とロンメルに提案したにも関わらず、彼は進軍を命じた。ハインツ・シュミット少尉によると彼はナイル河の占領を計画していたという。ロンメルの唯我独尊ぶりが陸軍上層部の反感を買っていたのもひとつの理由だが、ソ連との最終決戦を控えていたということもあり、北アフリカ戦線はひとまず現状維持とし、まずはモスクワを片付けてから増援を送ると約束した。興味深いことにドイツ海軍がロンメルのナイル占領を支持していた。彼らは英仏海峡や大西洋でイギリス海軍相手に戦っていたからである(スエズ運河が枢軸陣営の手に落ちれば、イギリス海軍はわざわざ喜望峰を廻ってこなければならない)。しかし1942年のエル・アラメインの戦い(第二次大戦のヨーロッパ枢軸国側第8ミッション)で大敗北を喫し、アフリカ戦線が半ば崩壊してしまう。翌年、ヒトラーはロンメル自身の致命的な健康悪化もありアフリカ軍団長から外した。療養後、ノルマンディーでは兵力も質も非常に劣悪なB軍集団を指揮するもノルマンディー上陸作戦の当日には妻の誕生日を祝う為ドイツへ帰るという失態を犯す。ただし、これは一面的で古い見方であり、当日のドイツでは「天候不良により上陸不可能」と全ての天候予測者が口を揃えたが、その天候を見たアイゼンハワーが一瞬だけ荒れが収まる瞬間を見計らって上陸を決断した背景があり、その影響によって軍は「今日の上陸は無い」とし、また海軍総司令官デーニッツもそれによりこの日には休暇を取っていた事が挙げられる為、決してロンメルが絶望的な失態を犯したわけではない。(二次大戦のヨーロッパ連合国側第8ミッション)。同年、イギリス軍の戦闘機の銃撃で負傷し、一命を取り留めるも、ヒトラー暗殺に加担した容疑で自殺を強いられる。1944年10月13日、自身の名誉と家族の安全を守る為ヘルリンゲンの自宅近くで自ら命を絶った。
ロンメルとヒトラー暗殺については、「知っていた」という方面では大方の研究家が一致するまでも、「参加していたのか」はその性質上未だ議論されている。しかし史資料の度重なる解明により、ロンメルがヒトラー暗殺に多少なりとも関与したのは半ば真実味を帯びている。また、このような話もある。1943年7月13日、東プロイセンの湖ですっ裸のエーリヒ・フォン・マンシュタインと出会った時の話である。会議のあと宿泊施設で一緒になった二人はドイツの今後について話をした。ワインが回りはじめると、ロンメルはドイツの今後について「トランプの家の崩壊のようだ」と語った。マンシュタインが部屋を出る際に、ロンメルは「私は閣下の下でいつでも働けます」と宣言している。また、度々独断専行により上官達と衝突した。国防軍上層部では大層嫌われる一方、戦意高揚のために彼を利用した党とそれに踊らされた民衆と一部の兵士達からの人気は絶大であった。
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ロンメルとは誰であったのか
ロンメルは下級指揮官としては申し分無かった。しかし、作戦・戦略関連になってゆくと、軍の司令官としてはその能力に疑問点が多く付き、限界を示している事は当時の将官ならず、現在でもロンメルの一般的な評価とされている。
ただし、ロンメルには特筆すべき美点がある。それは相手を尊重する「騎士道精神」だ。「砂漠の狐」がいかに色褪せようと、そのフェアネスに対する評価は揺らいでいない。また勇将として時代を使い、それに翻弄された立派で悲劇的な軍人として、今でも多くの人々から推尊されている将軍なのだ。
(出典 大木毅 「砂漠の狐」ロンメル)
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